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2017-03-13

ベリーズ(7)ガリフナ族の町ダングリガをゆったりのんびり歩いてみよう

ダングリガ_ベリーズ

現在中米にあるベリーズという国を旅している私は、ダングリガという町に滞在中。日本人にはあまりなじみのない「ベリーズ」という国ですが、物価がややお高めということで敬遠されがち。しかし反面、中米唯一の、母国語が英語の国ということもあり、旅しやすいところなのでございます。

【現在地】ダングリガ(ベリーズ)

Danguriga(Belize)

【気温】31度(昼)

【天気】晴れ

【通貨】1ベリーズドル=約55円(2ベリーズドル=1USドル)

ダングリガという町について

“ベリーズ南部で最大の町”という『地球の歩き方』の表記から私が想像していた町の様子とはおおよそかけ離れた風景を目にして驚きを隠しきれなかったのが昨日のこと。

ベリーズ

なんだこののんびりとした雰囲気。道端には、使われなくなったバスが放置され、人通りもありません。

ダングリガ_ベリーズ

これがメインストリートです。

ダングリガ_ベリーズ

昨日は日曜日だったため、多くのお店が閉まっていて、食べ物を買える店もほとんどありませんでした。

やっとみつけた商店。

ダングリガ_ベリーズ

中国の方が経営なさっていて、私を見てうれしそうに中国語で話しかけてくださいましたが、ごめんなさい~日本人なんです~。

場所はこちら。

もしもこの先、日曜日にダングリガに到着なさって、はらぺこになってしまった場合はぜひ行ってみてください。ここでチキンバーガーを買って帰りました。3ベリーズドル(約180円)。

ダングリガ_ベリーズ

ダングリガに暮らすガリフナ族について

「全然人いないなあ」と思いながら歩いていると、川沿いで、地元の方の姿をお見掛けしました。

ダングリガ_ベリーズ

日曜日なので皆さんオフなのでしょう。とてもくつろいでいらっしゃいます。ダングリガは、今までの町に比べると、どうも、黒人の方の割合が多いように思います。

ベリーズ

それもそのはず。ここダングリガには、「ガリフナ族」という、アフリカにルーツを持つ民族の方々が多く暮らしていらっしゃるのです。このガリフナ族、ベリーズに来るにあたりいろいろと調べてみましたら、とても興味深い歴史を持つ民族だということが分かりました。

ことの発端は、1635年。西インド諸島にて、スペイン船が難破。この船は、アフリカから連れてきた奴隷を運んでおりました。場所はセントビンセント島の近くだそうです。ここ。

ガリフナ

奴隷たちは、海に放り出され、そしてセントビンセント島に住む「カリブ族」が彼らを救出。そこで、2つの民族の混血が進み誕生したのが、ガリフナ族の前身「ガリナグ族」です。

「カリブ族」の人たち、見ず知らずのアフリカの人々をよく助けたなあと思うのですが、このカリブ族もまた、カリブに進出してきたスペイン人によってもともと暮らしていた島を追われ、セントビンセント島とドミニカ島という狭い範囲で生きることを余儀なくされていた民族だったのです。

お互いスペイン支配の被害者ですから、きっと団結力も生まれたんじゃなかろうかと勝手に想像するのですが…。

しばらくのあいだ、セントビンセント島や近くのドミニカ島などで平和に暮らしていたガリナグ族ですが、18世紀後半、こんどはスペインではなく、イギリスが島を制圧し始めます。

ガリナグ族の奴隷化をもくろむイギリスに対抗するために、彼らはフランスと手を組み、自分たちの島を守るため果敢に戦いました。その期間、なんと32年。

しかし、残念ながら最終的にはイギリス軍に軍配が上がります。

ところが、反骨心溢れるガリナグ族を奴隷にすることはできず、1979年、イギリス軍は抵抗する彼らを捕らえ、ほかの黒人奴隷と共にホンジュラスのロアタン島に強制移住させてしまうのです。

その際に、5,000人いたガリナグ族は2,000人に激減。

ほんとうにとんでもないことです。当面の食料と最低限の生活道具とともにロアタン島に遺棄されたガリナグ族は、その後ロアタン島からホンジュラスのトルヒーヨへ移り、ベリーズから始まりホンジュラスやニカラグアのカリブ海沿岸で定住生活を始めます。その流浪の過程で「ガリフナ族」としてのアイデンティティを確立していったのだとか。

中米を旅していて、もう何度も何度も「奴隷制度」について耳にしていますけど、人を道具としてあつかうこの狂った制度は、どうしても理解できないです。“強制移住”とか“遺棄”とか聞くのは胸糞悪い。

ですから、「民族発祥以来、一度も奴隷化されたことのない、誇り高き自由を愛する民族」なんて話を聞くと、心がスッとします。

ガリフナ族の人々が、ダングリガにたどりついたのは、19世紀初頭。今では、安心して定住できる場所を見つけ、人口は全部で約60万人にまで増えているそう。

毎年11月19日は、国民の祝日(ガリフナ・セトルメントデー)で、ダングリガにて彼らの入植を祝う祭りが開かれております。今現在は閑散としているダングリガですが、そのときばかりはたくさんの観光客が訪れ、普段からは想像もつかない盛り上がりを見せるのだとか。

このような歴史を知ると、それはもう激しく納得なのですが、ガリフナ族の人々は、今でも独自の伝統や文化をかたくなに守りながら生活しています。カリブでもない、マヤでもない、アフリカでもない、独特の文化。ちなみに、彼らの言葉(ガリフナ語)と音楽は、ユネスコ世界遺産に登録されているんですよ。

そのようなガリフナの人々が多く暮らすダングリガ。「何かしらのガリフナ文化に触れられるかなぁ」なんて期待しながら町を歩いてみましたが、そもそもあまり人がいらっしゃいませんねぇ。

ダングリガ

でも、すれ違う人々に挨拶すると、ちゃんとにっこり笑って挨拶を返してくれるんですよ。「かたくなに文化を守り続けている」と聞くと、なんとなく排他的な人々なのかしらと思ってしまうのですが、まったくそんな感じはなく、外国人の私に対しても、明るくにこやか。

お昼ご飯は地元の食堂に入ってみました。

ダングリガ

ダングリガ

頼んだのは、本日のおすすめビーフスープ。

ダングリガ

大きめにカットされたほくほくのニンジンやジャガイモがとてもおいしかったです。

ダングリガ

11ベリーズドル(約600円)。ちなみにこれが「ガリフナ料理」と言われるものなのか、とくにそういうわけではない普通のビーフスープなのかは分かりません。

「〇〇族」っていうと、ナミビアとかエチオピアに暮らすどこまでもワイルドな方々を想像してしまうかもしれませんが、ここ中米のガリフナ族さんは、ぱっと見で「わぁ~少数民族さんだ! 」と判断できるような感じではありません。たぶん、祭りとか何かないと分かりやすい「独自の文化」的なものに触れるのは難しいんだろうなぁ。

自然の中に生きるということ

ダングリガにいると、確かに黒人系のルックスの方が多くって、半年前にいたアフリカを思い出します。

それから、人々の見た目もそうですが、そのライフスタイルといいますか、暮らし方もアフリカと雰囲気が似ているように感じます。なんといいますか、

自然を間借りしてる感じ。

海も大きな川もあって、開発するにはうってつけの土地柄なのにそれをせず、船も住居も、つつましくポツンポツンと存在しているんですねぇ。

ダングリガ

メキシコ、キューバと旅してきた中米は、欧米に比べるとまだまだですが、それでも人間が暮らしやすいようにいろいろなものが整備され、生活するにも旅するにも困らないように適度に開発が進んでおりました。

しかし、ここダングリガは、ひさしぶりに感じる、「自然の中に存在している」という感覚。

観光開発されていなくて、ふつーの日常が繰り返されるダングリガ。バイタリティあふれる観光客にとってはあまり面白みがないかもしれませんが、でも、ガリフナ族の人たちにとってみれば、これほどありがたいことはないんじゃないかと。

自分たちの安定した生活を脅かす欧米列強国の支配におびえることなく、定住できる場所。平和で何も起こらない日常こそが、長年求めていたものですからね。

メキシコ・ユカタン半島のビーチタウンも素敵でしたし、ベリーズのキーカーカもいいとこだなぁと思いました。が、ダングリガに来て改めて実感しました。

やっぱり私は田舎に魅力を感じてしまうんだなぁ。

ダングリガ

オフシーズンのダングリガは、正直、とくに観光するべき要素はありません。観光客もいいませんし、観光客相手に商売している人も皆無。非常に地味です。でも、平和な日常はたっぷり満喫できます。定住するならこういうところがいいなぁ、なんて。

ダングリガ_ベリーズ

夕方、宿の前の広場で地元のお子様たちが輪になって歌っていました。

ダングリガ

というわけで、本日はダングリガの日常をお届けしました。明日は、ちょっとだけ南に位置する「ホプキンス(Hopkins)」という町まで移動します。本日も、最後までお付き合いくださってありがとうございました。ではまた明日。

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コメント2件

  • ターニア より:

    胸糞悪い!中南米は、今もインディヘナの状況は、吐き気がします。メキシコの仕事をしていた時、シティーでの会議に出席した課長クラスの女性が、出勤に自分専用の運転手がいると聞いてびっくりしました。収入の格差は依然としてあり、メキシコは戦前の日本のように地主制度が依然としてありますから、小作人(インディヘナ)は、スラムの状況から抜け出せません。この地主制度をなくさない限り、メキシコの健全な発展は難しいと言われてます。夢を持つ権利、幸せになりたいと思う権利を、だれでも持てる国がいい。胸糞悪い格差のある国へ行くのは、気分が悪いです。せめて旅人は、差別することなく現地の文化を受けとめてほしい。これからはもっとFairな社会になることを願うばかりです。

    • mayumi mayumi より:

      ターニアさん
      旅しただけでは分からない差別や格差が、依然としてあるんですねぇ…。
      地主制度なんて、とうの昔になくなったのかと思っていましたが、現在もあるなんて驚きです。

      夢を持つ権利、幸せになりたいと思う権利を誰でも持てる国がいい。確かに、本当にそうですね。
      おそらくごく一般的な日本人に生まれた私は、そんなこと深く考えることもなく、あたりまえにあるものとして生きてきましたが、
      そうでない方も少なくないんだなあ、と思い知らされました。

      フェアな社会が訪れることを願ってやみません。

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