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2016-02-27

みんなだぁーい好き、漫☆画太郎先生~『珍遊記』観てきましたよ編~

漫☆画太郎_珍遊記

今日は、ひさびさに映画を観に行ってきました。本日封切りの『珍遊記』。1990年から1992年にかけて『週刊少年ジャンプ』で連載されていた漫☆画太郎先生のデビュー作『珍遊記 -太郎とゆかいな仲間たち-』を実写化した映画です。2日前から新宿バルト9で初日の初回を予約して意気込んで行ったのに、だいぶ空席の目立つ感じで。それが逆にいいよねっていう、ね。

漫☆画太郎_珍遊記

まあ、土曜の朝10:20上映開始ですから、みんなそんな早起きしませんよね。

連載当時、私は小学校低学年。堂々と読める系漫画の代表格『ドラゴンボール』が全盛期をむかえていました。その裏で、男子が隠れるようにして『電影少女』を読みふけっているころ、私は『珍遊記』をものすごくコソコソ愛読しておりました。まだ人並みに羞恥心というものがあったいたいけな少女時代。それから二十数年が経過し、世間の荒波にもまれ多少ハートが強くなった私は、今なら堂々と胸を張って言える。

「漫☆画太郎先生、大好きです」

あぁやっと言えた…。なんなら、私が目指しているのは、画太郎先生、あなたの作品のようなブログですなんですよ。


漫☆画太郎先生は日本を代表する漫画家。彼の生み出す作品は、勢い破壊力インパクト、どれをとっても超弩級。先生の作品が日本の少年少女の心に刻んだ深刻なトラウマは、時を経ても一切風化することはありません。がっちりと心をつかまれたファンからは“神”と崇められ、今なおカルト的な人気を誇っています。ことあるごとにフラッシュバックする画太郎作品の名シーンは、自分ではどうすることもできない「吹き笑い」という形で、立派な社会人となった当時の少年少女を苦しめているのです。いい大人が日常生活でリアルに吹き笑いする瞬間は、そう多くはありません。

そんな画太郎先生ですが、2015年8月、これまでのペンネーム「漫☆画太郎」から「まん○画太郎」に改名なさって多くのファンをざわつかせました。

今まで私はバカには理解されなくていいというスタンスで星のように尖って生きてきました。 しかし昨今の若者はゆとり教育とスマホの変換機能のせいで頭の回転がやたら鈍く、漢字もろくに読めないバカばかりです。これでは、私の漫画が売れるはずがございません。
そこで私は、これまでの考えを悔い改め、これからは満月のように丸くなってバカでも理解できる漫画を描こう、そう決心し、そのいましめとしてペンネームの☆を○に変えました。 さらに「漫」と言う漢字も平成生まれの変換ゆとりバカにはちょっと難しいので平仮名に変えてあげたよ。 ありがたく思え、バカヤロ────ッ!!!
まん○画太郎

『ミトコンペレストロイカ/お詫び』より引用

さすが画太郎先生やでーーー!! これが神と呼ばれるゆえん。しかし、私はゆとり世代ではありませんし、平成生まれでもありません。なので、本記事では、なじみのある「漫☆画太郎」というペンネームで統一させていただきます。

まさかいないとは思いますが、漫☆画太郎先生を知らない方、今すぐ、下記のものすごく丁寧に画太郎先生のことをまとめていらっしゃるサイトでしっかり学んでから戻ってきてください。

おかえりなさい。

ほんとはスタジオジブリに入りたかった漫☆画太郎先生。スタジオジブリにとっても、画太郎先生にとっても、入れてもらえなくてよかったです。

漫☆画太郎作品をご存じない方に軽く説明しますと、画太郎先生の描く漫画は、暴力的、卑猥、下衆い、汚い、グロい、非常識、下品、クズ。あとなんだろう、とにかく最低。“ブラックユーモア”とかいう生易しいもんじゃありません。考えうるすべてのネガティブ表現をもってしてもまだ足りないんじゃないかってくらいヒドい

え…、尊敬してるって書いときながらここまで言って大丈夫か!? さすがにファンが黙ってないんじゃないの!? いやいや、違うんですって。ファンにとってはこのような表現自体が、すでに先生を崇め敬う称賛の言葉。

登場人物の首がちぎれて飛んでいく、トラックに轢かれてぺしゃんこになる、体が破裂して粉々になる、などダイナミックな死亡描写に定評がある画太郎作品。さらに、盛大に嘔吐・脱糞するシーンや、あまりに直接的な性的表現など、親が子供に絶対に見せたくない類の作品であることは間違いありません。

そして、大胆なストーリー崩壊、露骨なコマの使いまわしも先生独自の秀逸な作風として広く認知されています。コミックスの表紙に、本編とは全然関係ない人物や全く違うタッチのイラストを載せるなんて序の口。表紙のイラストを別の著名な漫画家さんに描かせて売り上げを伸ばそうとなさったこともあります。先生の手にかかれば連載打ち切りですらギャグの1つにすぎません。

これでもかってほどふんだんにちりばめられた暴力、エロ、グロの数々。ブログアフェリエイトの禁止事項総なめです。今日のこの記事でアカウント停止くらったらどうしよう…。

バチーン

そんな中途半端な覚悟でいいと思ってんのかこのやろー!!!!! ギリギリのライン攻めてこそだろーが。いやもうギリギリどころか余裕でアウトになってこそ画太郎ファンなんじゃないんですか!? そうでした。覚悟はできてます。アカウント停止になるのはイヤだけど、私は今日、漫☆画太郎先生へのアツい想いを全力で書き倒したい。


ところで、みなさんは「ピカソ」をご存知ですか? 20世紀最大の画家とも言われるピカソは、まさに芸術界の巨匠、天才の代名詞です。独特の構図、斬新な人物や情景の描写、目の覚めるような色使い、なんかもういろいろ圧倒される作風が印象的な、超個性派画家「パブロ・ピカソ」を知らない人はいないでしょう。

我々がよく知るインパクトのある力強い作風の絵は、晩年の「シュルレアリスム(超現実主義)の時代」「ゲルニカの時代」と呼ばれる時期に描かれたもの。芸術というものにうといので、作品についての詳細を語れませんが、これらの絵をみてグッとくるのは確かです。

『泣く女』

目にした瞬間に伝わる圧倒的な悲しさ。見えていないはずの顔の左半分もしっかりと描き切った斬新な構図。モノクロ部分と極彩色のコントラストが無性に不安感をあおります。

『ゲルニカ』

ドイツ軍の無差別爆撃を全力で批判する強い気持ちと、戦争の残酷さ、恐ろしさがダイレクトに伝わってきます。バラバラにちぎれた人間や、死んだ子供を抱く母親。容赦ない悲惨な現実を、目を背ける間もなくつきつけられたような気がします。スペインのソフィア王妃芸術センターで実物を見たとき、あまりの衝撃でしばらくの間、絵から目をそらすことができず、その場から一歩も動けませんでした。


ピカソは8歳のとき、絵画教師である父に言われてリンゴの絵を描きました。父親はピカソが描いたリンゴの絵を見て、絵を描くのを辞めてしまったそうです。ピカソの才能があまりにもすごすぎたから。実はピカソ、画力ものすごく高いんです。初期の作品をご覧ください。

『パイプを持つ少年』

『サルタンバンクの家族』

ピカソのイメージを覆すような、明るいタッチと柔らかな色使い。晩年の作風に比べると、ぐっと写実的です。素人の私が言うのもなんですけど、ここまででもう天才。ホントはすごく上手に書けるのに、なぜ、まるで子供が描く絵のような作風にシフトしていったのか? その答えはピカソ自信が語っています。

「誰でも子供のときは芸術家であるが、問題は大人になっても芸術家でいられるかどうかである」

子供だけが持つ豊かな創造性は、大人になり常識や社会性を身に付けるにつれ少しずつ失われていく。そして、「こういうタッチのほうが買い手が付くんじゃないかな」「この絵描いてるの、時給にしたらいくらかな」みたいな大人特有のくだらない雑念が頭をよぎる。当然、子供のように無我夢中で作品製作に没頭することはできなくなる。ピカソはそんなふうになりたくなかったんだと思います。

いつまでも子供のような心で、自分が感じたことを感じたままに描くこと、それこそがピカソの目指していたことだったんじゃないでしょうか。ピカソはこうも言っています。

「私は対象を見えるようにではなく、私が見たままに描くのだ」

対象をなるべくそのままの形で紙に描き写すだけなら、写真でよくね? ピカソがそう思ったかどうかは分かりませんが、ただ上手に描けばいいってもんじゃないんですよ。対象を、自分と言うフィルターを通して表現するんだから、実際の色や形と違ったって別にいいんです。ほかの人の目にどう映っていようと関係ありません。自分の心の目で見た情景を、自分が感じたままにキャンバスに落とし込む。そのいたってシンプルな方法こそ、ピカソの目指していたもの。写真よりもっと直接的に、上手な写実絵の何倍も、見る人の心に訴えかけるピカソ作品は、こうして出来上がっていたのです。


話を漫☆画太郎に戻しましょう。こちらのキャラクターをご覧ください。

みなさんご存知、「ばばあ」です。ばばあは画太郎作品にしょっちゅう登場し、我々ファンの心をときめかせます。このような醜悪なルックスのキャラクターは画太郎作品の代名詞。

この濃厚かつ醜いキャラクターこそが、どうあがいても抜け出せない禁断の画太郎ワールドを形成しているのです。

しかーし!! ファンならご存知の方も多いと思いますが、漫☆画太郎先生の描く女の子、じつはとってもかわいいんです。

いやもうこれは萌えるでしょう。そうなんです。画太郎先生、その気になれば普通にかわいい女の子とか描けるんです。ほら、だいぶかわいいじゃん。萌え豚さんが泣いて喜ぶ童顔の幼女たん。

なのに、作品のほとんどを占めるのが、こちら。

安定の醜悪さです。鋭い人はここでもうお気づきのハズ! え、もしかして、これって…。そう、稀代の天才画家パブロ・ピカソとの共通点


以前、「ダウンタウンの大晦日スペシャル!! 『絶対に笑ってはいけない空港24時! 』」で、浜田雅功の絵を描かれた漫☆画太郎先生。浜田雅功を、なるべく実物に近い状態で紙の上に表現するだけなら、ちゃちゃっと写実的な絵を描いとけばいいんです。画太郎先生クラスの漫画家ならそのくらいものの数分でしょう。でも、

そうじゃないでしょぉぉーー!!!!

きさまらいいかげんにしてください。画太郎先生がそんな手抜きするわけないじゃないですか。彼の漫画作品同様、しっかりじっくり、執拗に線画を書き込みます。そして、完成した絵がこちら。

……すごすぎて言葉がでません。テレビで観るとこんな感じです。まさかの地上波乱入で全国のお茶の間の度肝を抜きました。放送事故一歩手前です。

しかも、二枚組…。

画太郎先生、さすがっす。

別に画力がないからこんな絵ばっか描いてるわけじゃないんです。だって、かわいい女の子描けるんだもん。めんどくさいからって、同じコマを何度も何度も何度も使っているわけじゃないんです。じゃあなぜ、汚くて卑猥な絵ばっかり描くか!?

そのほうが、「伝わるから」。でしょ?

浜田雅功の本質を自分なりに解釈し、あのような絵で描き出すことで、写真よりももっともっと鮮明に、直接的に見る人に伝えられる。そう確信してわざとあのような表現方法をとってるんですよ!!!!

「はうあ!!! 」

いま「はうあ!!! 」と思ったあなた。そうなんですよ、漫☆画太郎先生はすごいんですよ。ちゃんと描けるのに描かない。まさに平成のピカソ。その偉大さをお分かりいただけましたか?

ピカソはこんな言葉も残しています。「何か新しいものを作るとき、それを作るのは実に複雑だから、作品はどうしても醜くなってしまうのだ」と。あれ、これって、もしかして…。やだ漫☆画太郎作品のことじゃないですかーーーー!!!!

【ダイナミックな死亡表現】

ピカソ・作

漫☆画太郎・作

【圧倒的な悲しみ】

ピカソ・作

漫☆画太郎・作


もう覚えていないと思いますが、この記事の序盤に書きました。私のブログの目指すところは漫☆画太郎作品だ、と。さすがに、今の私に画太郎先生ほどの影響力はありません。たぶんこの先もないですね。でも、目指すのは自由。見てみろこのまとめサイト!

このサイトは、つらいことがあったとき必ず見るようにしています。人の生死に関わること以外はすべてどうでもよくなるインパクト。自然と笑みがこぼれます。こんなふうに、読む人が無条件に笑顔になれるような作品(私にとっては文章)を生み出せたらな、と思います。まともな内容をちゃんと書こうと思えば書けるのに、書かない。そんなブロガーがいたら、文句なしにかっこいい。そのためには、日々鍛錬を積み、まずはまともな内容をしっかり書けるようにならなければ、とひとりモチベーションをアップさせている土曜日の午後。

そういえば、今日は映画を観に行った話から始まってたんだっけ。『珍遊記』の感想、聞きたいですか?

 

 

 

 

 

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