キューバ(44)モンガダ兵営ほか革命跡をたどるサンチアゴ・デ・クーバ
世界一周のようなことをしております私は、現在キューバにあるサンチアゴ・デ・クーバという町にいます。ここは、ハバナに次ぐ第二の都市であり、キューバ革命発祥の地。今も昔も、キューバにとって非常に重要な町なのです。本日は、そんなサンチアゴ・デ・クーバの観光をレポートします。
【現在地】サンチアゴ・デ・クーバ(キューバ)
Santiago de Cuba(Cuba)
【気温】30度(昼)
【天気】晴れ
【通貨】1CUC=約115円、1CUP=約4円
まずは、滞在中のカサで用意していただいた朝ごはん。3CUC(約330円)。
こちらのカサは、おうちの中にいい感じに植物が植えてあって、とても気持ちのよいところです。
ベランダには自慢のガーデンがあり、
なんとマスカットもなっている。
食べていいよと言われたので、1粒いただきましたが、ややすっぱめで爽やかな味がしました。お腹がいっぱいになったら、観光へと繰り出します。
キューバ第二の都市であるサンチアゴ・デ・クーバ。でも、町中はいたってのんびりしておりまして、ハバナの混沌に比べると、まだまだ全然いなかです。歩いていて見かけたのがこちらのお店。
キューバでは、どこの町にも、だいたいネイルサロンがあります。
人々の経済状態から考えると、ファッションにかけるお金を捻出するのもきっとかなり大変。それにそもそも深刻な物不足に陥っているキューバですから、手軽にできるネイルアートがほぼ唯一の、自分を飾るささやかな贅沢。
お若い方からご年配の方まで、かなり凝ったネイルにしていらっしゃる女性が多かったです。
さあ本日の観光の目玉となりますのは、「7月26日モンガダ兵営博物館」。キューバ革命の火ぶたを切った歴史的な場所です。
■7月26日モンガダ兵営博物館
(Museo 26 de Julio Cuartel Moncada)
1854年、刑務所として建てられたこちらの建物。
その後、1952年、クーデターによって政権に就いたバティスタの兵営として使われていました。そして、1953年7月26日、カストロ率いる革命軍がバティスタ政権打倒をかかげて襲撃した場所、つまり、
キューバ革命の最初の一歩を踏み出した記念すべき場所なのです。
残念ながら襲撃は失敗し、革命軍121人のうち、その半数61人が犠牲になりました。
その兵営をそのまま残し、現在は博物館として利用しているのがこの施設。内部には、当時の襲撃の様子や、それに至る経緯、革命軍それぞれの部隊がとった経路や、命を落とした仲間の写真が展示してあります。
また、その後のゲリラ戦の様子や、革命軍(通称M-26)のユニホーム、使用した武器などもあり、かなり充実の展示内容。
というかですね、充実すぎて、かなり恐ろしいです。
拷問の様子、亡くなった方の写真(遺影ではなく、死亡直後の写真)、襲撃後に死体があった場所の見取り図など、生々しすぎる襲撃の軌跡が惜しむことなく展示されております。
入場料は2CUC(約220円)。写真撮影は、追加5CUC(約550円)でしたので、写真は撮っていません。撮っていたとしても、ブログには載せられないようなものも多々あります。
“革命”っていう響きは、なんだかそれだけで無条件にかっこいいなぁ、なんて思っていた単細胞、二次元脳、中二病も甚だしい私ですが、これだけ生々しい展示を見せられちゃうと、「安易に憧れていいもんじゃないんだな」ということを強く思い知らされます。
想像以上に凄惨な写真が壁一面に並んでいる部屋の隅っこでは、博物館の女性スタッフさんが、スマホ片手に非常にだるそうに、我々旅行者を監視しています。
全く褒められた勤務態度ではありませんが、1日中この部屋で過ごす気持ちを考えると、そりゃスマホもいじりたくなるよなぁ。
この襲撃の失敗により逮捕されたカストロは恩赦で出獄し、メキシコへと渡ります。そこで組織したのが反バティスタを掲げる「7月26日運動(M-26-7)」。
革命軍のユニホームや、その腕章に、“7-26”とか“JULIO de 26”と書かれているのは、この日を忘れないという意味も込められているのです。
逃亡の地メキシコで、カストロとゲバラは出会い、同志となります。ですから、モンガダ兵営を襲撃した1953年当時の革命軍には、まだチェ・ゲバラは加わっておりません。
このモンガダ兵営で最も注目すべきは、建物の外壁に残されている銃弾の跡。
博物館の入口でもある3番ゲートの周辺には、生々しい弾痕が多数残されているのです。
革命のかっこいいところや、戦士たちの雄姿ではなく、その逆の姿や敗北の事実も包み隠さず展示したモンガダ兵営博物館。想像以上に衝撃でございました。
モンガダ兵営は、サンチアゴ・デ・クーバの東の端にあります。中心までは歩いていけないこともありません。徒歩20分。
町の中心にあるのがセスペデス広場。
ここは、音楽を演奏している陽気な人々もいらっしゃりとても賑やかな広場です。半面、お金をくれと言ってくる人や、しきりにWifiカードを買えと言ってくる人もいて、なかなかめんどくさい場所でした。
セスペデス広場に面したメトロポリタン教会はとても美しい。
教会の反対側には市庁舎があり、1959年の革命直後、このベランダからカストロさんが最初の勝利の演説を行ったそうです。
この広場を通り過ぎ、続いて向かいますのは、高台に位置するルチャ・クランデスティナ博物館。サンチアゴ・デ・クーバは、坂道が多い町なのですが、この博物館は坂道をたくさん登りきったところに位置しています。
向かう途中の道路からは海が見えます。
■ルチャ・クランデスティナ博物館
(Museo de la Clandestinidad)
1950年代に建てられたこの建物は、もともとは警察署でした。
そして、1956年11月、メキシコでタッグを組んだカストロ&ゲバラとその仲間たち、通称M-26のメンバーがグランマ号に乗ってキューバに上陸する際、政府の目をそらすために襲撃したのがこちらの建物。先ほどご紹介したモンガダ兵営を襲撃した3年後のことです。
館内に展示してあったグランマ号のレプリカ(縮小サイズ)。
“船旅”というよりは“遭難”に近い状態だったと言いますが、こんな小さなボートで再びキューバの地を踏んだカストロさん。
それをカムフラージュするために警察署を襲撃するなんて、相当ハードボイルドな作戦です。
現在は革命に関する資料を展示する博物館になっておりまして、襲撃に使われた武器、
火炎瓶、
当時のユニフォームなどを見ることができます。
ユニホームの腕章。
これに、「7月26日を忘れない」という意味が込められているんですね。
入場料1CUC(約110円)。展示物は、モンガダ兵営ほど激しくはありませんので、ご安心ください。
建物の2階からの眺めはなかなかのもです。
■ルチャ・クランデスティナ博物館周辺のみどころ
この博物館の向かい側には、少年時代のカストロさんが1931年~1933年にかけて暮らしていた家があります。とくに看板が出ているわけでもないので分かりずらいのですが、それがこちら。
ルチャ・クランデスティナ博物館のスタッフさんに聞くと、親切に教えてくれました。
ルチャ・クランデスティナ博物館がある場所の近くには、「パドレ・ピコ(Padre Pico)」と呼ばれる美しい階段があります。
そして、ここから徒歩数分の場所には、サンチアゴ・デ・クーバの街並みを縮小模型にして展示してある施設があります。
なかなか大掛かりなセットです。
近づくと、手作り感。
だからなんだと言われればそれまでですが、その施設のベランダ側から眺める町並みがとても素敵でした。
歩き疲れたら、ここのベランダのカフェでコーヒーでもどうぞー。入場料1CUC(約110円)。場所はこちらです。
サンチアゴ・デ・クーバのジェラート事情
ほぼ毎日のように食べている(飲んでいる)ジェラートですが、サンチアゴ・デ・クーバにももちろんジェラート屋さんがあります。
毎日必ずと言っていいほど行列ができている人気店「Heladeria Jardines de Enramadas」。直訳すると、“お庭の木陰”。素敵な名前じゃないですか。
場所はこちら。
素敵なお店の名前のとおり、広々としたガーデン内にあるジェラート屋さん。
広々としているにも関わらず相席になりました。
メニューはこちらなんですけども、
×4で日本円換算できますから、みなさんぜひ計算してみてください。
私がオーダーしたのが、SUPER TURQUINO、4.15CUP(約17円)。ジェラート3スクープと大きなケーキのセットです。
こ、これが17円。
みなさんも幸せそう。私も幸せ。
さあ、最後は幸せな気分になったところで、サンチアゴ・デ・クーバの観光終了。明日は、サンチアゴ・デ・クーバから、首都ハバナに移動します。本日も最後までお付き合いくださってありがとうございました。
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