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2016-02-26

「育児初心者必読マニュアル! ~どうする!? 子育て~江戸編」(架空)

ネコの子育て

本日は、有給消化のため会社をお休みし、出版社で働いていたころの友人宅でランチをしてまいりました。彼女は、先日2人目のお子様を出産し、現在育児休暇中。

ここ最近、私のまわりでは「出産」が空前の大ブームみたいで、お母さん&お父さん、またはその予備軍だらけです。つい昨日も、大好きな友人が元気な女の子を出産したばかり。ほんとにほんとにおめでとう! まだ私は「人の親」になったことがありませんが、人並みに、赤ちゃんかわいいな~って思います。今日も、生後二か月の友人の娘に会ってきましたが、ほんとーにかわいくて、ずっと見ていたくなりました。でも、新たな命を生み育てていくっていうのはとんでもなく大変なこと。生まれたばかりで右も左も分からない赤ちゃんという生命体を、試行錯誤しながら物理的&精神的に成長させて、ときには自分たちも一緒に成長したりなんかして、最終的に立派な1人の人間として育て上げる。聞いただけで超高難度。あたりまえですけど、エロくてかわいい幼女を自分好みに育てていくゲームとはワケが違います。

江戸時代の育児マニュアルに「三つ心、六つ躾、九つ言葉、文十二、理十五で末決まる」という言葉があります。江戸の庶民(とくに商人)の間で子育ての基本とされた段階的養育法を表しているそう。子育てを経験していない私がこんなところで稚拙な「子育て論」をぶちかますのもちゃんちゃらおかしいので、この「育児初心者必読マニュアル! ~どうする!? 子育て~江戸編」(架空)に沿って自分の生い立ちを振り返ってみることにします。


「三つ心、六つ躾、九つ言葉、文十二、理十五で末決まる」

■三つ心

3歳までに心の豊かさを教えなさいという意味。「三つ子の魂百まで」ということわざもありますが、ここで培われた心の豊かさは、たぶん一生消えないと思う。

存分に愛を与え甘えさせる(甘やかすではありませんよ)ことで、自己肯定感と他人への信頼感を根付かせることが出来ます。たっぷり愛を注ぎ、肌に触れ抱きしめ、美しいものに触れさせ、良い手本を示し、この心を豊かなものにすることから子育ては始まります。

海月のネタ帖』より引用

3歳のころの記憶なんて曖昧だけど、とにかく私は褒められて育った。特別甘やかされて育ったとは思わないけど、「まゆちゃんがんばったね~」「すごいね~偉かったね~」なんて、ほんのささいなことでも、ものすごく褒められた記憶がある。ほんとにたっぷりと愛情を注いでもらって、大切に育ててもらったなぁと思う。私の過剰な自己評価の高さと、近しい人への絶対的な信頼感はこの頃の親の育て方によって培われていたんだな。

■六つ躾

6歳までに躾をしなさいという意味。挨拶や人と接するときの姿勢、日常生活で守るべきルールなどを身に付ける時期。それから、人に何かをしてもらったら「ありがとう」、悪いことをしたら「ごめんなさい」、この基本をしっかり身に付け実践させる時期でもあります。小学校入学前に、少なくともここまでは身に付けておかなくては、ってことですね。これができない大人、びっくりするぐらい多いよね

■九つ言葉

9歳までには言葉の能力を高め、世辞が言えるようにしなさいという意味。世辞と言っても、心にもない相手が喜ぶようなことを言って、ものごとを円滑にすすめられる能力を身に付けなさい、という意味ではありません。

他人への口の利き方を教える時期です。どんな人にも失礼にならないような挨拶ができるようにしつけたそうです。小さい子でもできるような「こんにちは」だけでなく、そこから「暑いですね、お加減はいかがですか」といったような相手を気遣う言葉を、この頃もう教えていたのです。

海月のネタ帖』より引用

挨拶や基本的な受け答えができるのはあたりまえ。そこに、相手へ気遣いや思いやりを付け加えることの大切さ。このへんから徐々に、いわゆる「コミュニケーション能力」とかいうやつが必要とされてくる。コミュニケーション能力至上主義教育の台頭です。私たぶんここでつまずいたんだな…。

■文十二

12歳になるころには、きちんと中身や言いたいことが伝わる文章を書けるようにしなさい、という意味です。文字や文章を自在にあやつれるようになりなさい、と。

“九つ言葉”フェーズでのつまずきが尾を引いて、この頃から私はだんだんと内向的になり、なるべく目立たないようにひっそりと生活していくことを好むようになる。「人から注目されてもいいことない」ということをこの年で悟ったんですね。無類の本好きである母親の影響もあって、幼少のころから本にまみれた生活を送っていた私は、このときすでに活字中毒架空の世界で繰り広げられる冒険や戦いに没頭することで、失ったコミュ力を相殺するがごとく、言葉を操る能力&文章を書く力を身に付けていきます。

ちなみに、江戸の庶民(とくに商人)に伝わるマニュアルですから、本来は家業を手伝うために必要な実用的な書類の作成なんかが早いうちからできるようになっとくといいよ、という意味が大きかったそうです。

■理十五で末決まる

15歳までには世の中の理(ことわり)を理解させなさい。そしてここまでの育て方でその子の一生が決まるようなものですよ、という意味。

物事の仕組みや意味、時に訪れる不合理などを、ただ知識として知るだけではなく、これはこういうものなのだと深く理解することです。15歳ともなれば、この時代ではもう立派な大人です。

海月のネタ帖』より引用

確かに、江戸時代であれば14、5歳は立派な大人かもしれません。でも、今の平成の世において14、5歳とえば…。そう、みなさんよくご存じ「中二病」を発症する時期とまるかぶり

【中二病】

中二病(ちゅうにびょう)は、中学2年生(14歳前後)で発症することが多い思春期特有の思想・行動・価値観が過剰に発現した病態である。多くは年齢を重ねることで自然治癒するが、稀に慢性化・重篤化し、社会生活を営む上で障害となることがある。特異的な身体症状や臨床所見は見出されていない。

ニコニコ大百科(仮)』より引用

本放送から1年半遅れ、ついに山口でも『新世紀エヴァンゲリヲン』の放送が開始された年。14歳の碇シンジが全力で中二病を謳歌しているころ、くしくも14歳をむかえてしまった私。時を同じくして、ルフィが海賊王に、ゴンが一流のハンターに、葉くんがシャーマンキングになると声高らかに宣言します。輝かしい時代の幕開け。そして世の中のことわりとかいうやつを理解します。アニメと漫画とパンクロック(日本の)を通して

大人は汚い」「サラリーマンにだけはなりたくない」などと発言する。「プライバシーを尊重してくれ」と母親に対して激昂する。学校が武装集団に占領されて自分1人で戦うことを妄想する。クラスメイトとどこか違う感じを出したがる。もはや疑いようのない中二病です。

これが自然治癒せず、慢性化・重篤化した場合どうなるか。まさに今の私ですよ。気の毒ですが、「あぁ、あの人こじらせちゃってるね」とまわりに後ろ指さされながら生きていくことになります。

ただし!! ここで振り返ってみましょう。私には、かつて“三つ心”のフェーズで培われた「強力な自己肯定感」と「近しい人への絶対的な信頼感」がある。誰がなんと言おうと、私は自分がやっていること、やろうとしていることこそが唯一の正解だと思っている。ほかに道はない。そして、どんなに他人に白い目で見られようと、私が大切に思う人たちは絶対に私のことをバカにしないし、いつだって応援してくれている

なるほど。まさかの救済策まで授けてくれる段階的教育恐るべし。これが江戸クオリティ。すべて完璧に筋が通っていてびっくりしますね。


人間の性格、ひいてはその人生って、親の育て方次第でかなり変わってくると思う。親が子供の人生に与える影響って驚くほど大きい。親が思っているよりだいぶ大きい。幼いころ母親に繰り返し言われたことは、今でも私の人生に大きな影響を与えている。

■「物にはみんな命があるんよ。雑に扱ったらかわいそうやろ。物は大事にせんといけん」

この教えのおかげで、私はほとんど物を捨てられない人間になった。人に何かをもらったら、それはもはやくれた人の分身。誕生日とかにもらったプレゼントはもちろんその人の分身だし、旅行のお土産だっつってもらったどうみてもバラマキ系の謎のボールペンだってそれをくれた人の分身だ。

さらに言うなら会社のデスクにたまに貼ってある「○○さんから電話がありました」みたいな付箋すら、メモを置いてくれた人の分身に見える。捨てようとすると、心なしか悲しそうに見えて捨てるのを躊躇してしまうもんだから、机の上は付箋だらけ。それが今日のものなのか3日前のものなのか分からなくなり、かけてもいないのにかかってくる唐突な折り返し電話で関係各位を戸惑わせている

「資源を無駄にしてはいけない、もったいないでしょ」みたいに環境問題の観点から物の大切さを教えてくれればまだ捨てられたかもしれない。用件を伝え終わった付箋を捨てることはもったいない行為ではないから。なのに…「かわいそう」って。感情に訴えかけてくるのはずるい。

■「人の身体的特徴をあげつらっちゃいけん。自分ではどうしようもないこともあるんやけーね」

確かに生まれ持った身体的特徴や体質は、本人にも打つ手立てがない場合が多い。しかし、広く知られていることですが、「でもおまえハゲじゃん」を論破する方法は今のところ発見されていません。どんなに正論をふりかざそうと、どんなに輝かしい成果をあげようと「んー、でもおまえハゲじゃん? 」のひとことですべては無に帰す。理不尽で残酷ですが、これが現実。母は幼い私に、いずれ立ち向かわなければならない“現実の厳しさ”を教え込もうとしたのでしょう。この教えのおかげで、嫌いな男性のことを「でもあいつハゲじゃん? 」とか言うとき、ちょっと心が痛む

■「言葉には言霊っていうタマシイがあってね、すごい力があるんよ。一回口に出した言葉はもう元に戻らんし、嫌なことを言うとそれが現実になってしまうかもしれん。やけー人の悪口は言ったらいけん」

まさかの言霊信仰。もうこの昭和臭しかしない“言霊”を持ち出して子供を教育している親なんてほとんどいないんだろうな~。でも、言霊の力はなくはない、と思っているので、自然と発言も慎重になる。私だって、人の悪口は言っちゃいけないって分かってる。分かってるけど、それを分かったうえでなお言わざるをえない状況というのは少なからず、ある。だから、誰かに猛烈に腹が立って「あいつマジ死んでほしい」的な発言してしまった時は、必ず心の中で「嘘です」と言い添えるようにしている

お母さん、こうして私は今日も物が積み上がりすぎてコックピットと化したデスクで仕事をし、周りの人をドン引きさせています。そして、聞くに堪えない暴言を好き勝手まき散らしながら元気いっぱい生きています。


もちろん、私の今の性格・人生を100%親が作ったかというとそれはありえません。今まで生きてきた経験が加味されて、今の私が完成(仮)している。だから、残念な面をすべて親のせいにするつもりはありません。ただ、これだけは言える。「あとあとどうなるかをしっかり考えた上でいろいろ教育していかないと、30年後『仕事辞めて世界一周行ってくる』とか言い出す子供が育っちゃうかもよ…」。

あと、最後に、「ほら、ほら、かわいいでしょ? ね? どう? うちの娘! 」と言いながら執拗に愛娘の写真を見せてくる私の周りのよきパパたち。確かにかわいい。ものすごくかわいい。でも……あなたたちは十数年後、「お父さんの顔なんて見たくもないし、口もききたくない。同じ空気を吸うのすらイヤなんですけどー。友達がいる前で話しかけてこないでって言ったじゃん」とか言われる未来が待っていることを知る由もない。

さらに言うと、父親は、大事なことは絶対に教えてもらえません。奇跡的に教えてもらえたとしても、一番最後かもしくは事後報告でしょう。かわいそうに。不憫でなりません。(さすがに私も大人になったので今では父親とも仲良くやっています)

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